ゆかこのブログ

こじらせすぎだから

ヒメアノ〜ルを観て思ったことのメモ書き


おもっきしネタバレしております。1回しか観てないけど思ったことのメモ書きをなにかの練習と自己顕示欲の解消として、置いてみる…









・観終わってまず感じたのは最後の回想シーンの違和感。あの最後の回想だけすごく異質だった。
わたしはあれは、岡田くんが目を閉じるシーンでブツッと終わってほしかったなと思ったのよ。最後の後付けのような救いは必要だったのかな…って思ってしまったの。
でもあとから考えてみて、あれは岡田くんがああいうふうに思い込みたかったんだろうなって。
岡田くんはずっと自分の罪悪感と戦ってきていて、最後まで森田くんのことを本物のサイコパスではなくて心の傷から変わってしまったんだと、最後までそう思いたかったんだと思うの。
だから最後のシーンは岡田くんが死ぬ間際に見た夢のようなものなのでは…と、観た直後にわたしは思った。

・で、その次に浮かんだ違和感は、ゆかちゃんをレイプしようとしたシーン。
ゆかちゃんをレイプしようとした時だけ、森田くん、ゆかちゃんの顔を隠して殴ってたじゃん?
それがめちゃくちゃ気になって。
今まで女の人を襲った時ってただ暴力を際限なくふるってたし、暴力がセックスそのものみたいなところがあったのに、ゆかちゃんのときだけ「殺してから犯してもいいんだぞ?」ってわざわざ口に出したり、ズボンを脱いで挿入する意思を見せたり、暴力の程度も軽めだったのが、すごく気になった。
そういうことなのかなって、思わせてくる。
彼にとって女の人と男の人って全然対応の仕方が違って、女の人への対応はひたすらに「わからない」感じが伺えたんだよね。
だからゆかちゃんへの感情も、ストーキングしていた動機とかはぜんぜん描かれないけど、観客にとっても本人にとっても「わからない」だったんじゃないかなって思った。好意なのか、そのほかに理由があるのか、それすらも、わからない。
森田くんも、最後までどうしたらいいかよくわからなかったんじゃないかなあ。

・プロローグの長さがすごくいい。
途中ですっと始まって派手な音楽もなにもなく森田くんがメインの話に切り替わるの、いい。死ぬほどかっこよかった。

・良かったシーンはどこって言われたらわたしは飲み会のシーンを選ぶかなあ。
息をするように嘘をつく森田くんと、そんな森田くんの「俺たちもうとっくに終わってんだよ」というセリフ。
「だから俺たちくすぶってんだろ」の言い方と声、そのときの岡田くんの表情と、翌日の「精神的に疲れる飲み会でした」っていう観客が抱いた感想とギャップが著しい軽い感想。
あれ、森田くんはもうすでに死んでいるっていう、隠喩、かなって、思った。
わたしはあそこで、あ、もうこの人、人間じゃないし、生きてないんだ…って思って、そう思い込んで観進めてしまった。
森田くんはもうとっくに、終わっている。

・あと最初の殺人のときに死体に向かってシコってたりとか、岡田くんの初セックスのシーンと森田くんが初めて女の人を殺すシーンを重ね合わせたりとか、ああ、この人殺人が快楽なんだなあってまず思わせておくのが良かった。
だまされたというか。
最初あの銀行員の男の人に「あいつはあのときから変わったんだよ」って言わせておいて、観ていくうちにサイコパスとしての合理的な殺人やセックスとしての快楽的な殺人の面が映し出されていくの、良かった。
そこから最後のシーンにつながるから、うっかりだまされそうになってしまう、森田くんの殺人の動機はトラウマだったんだって、思いそうになってしまう。
でも違う。
それまでに描かれたシーンで森田くんがサイコパスなのは明らかなんだよ。
知らない人の家に勝手にあがりこんで平然と食事をしたり、目的のために後先考えずゆかちゃんの隣人を殺したり、自分の欲や葛藤とは別に、確実に森田くんはサイコパスなのであって。
快楽と、合理と、トラウマと、3つの側面をきっちりと感じてしまった。
だから救われない。救いはあるけど、それじゃあ、救いきれない。

・そしてこれは一緒に観てた友達に言われて気づいたんだけど最後、犬が目の前に来てハンドルを切ってしまった、と言っていて、わたしはそこ?って思ったんだけど、最後の木漏れ日のシーンで、犬がうつっていたらしいんだよね…
ていうか別の友達も犬!って言ってたから、犬についてはわたしの注意力がポンコツすぎたし、目の前に来たらそりゃ避けるよな〜って思って処理した自分の深みのなさ…あは…

・ていうかいや〜やっぱり考えれば考えるほど最後のシーンが異質すぎる。
今まで学生時代のシーンも逆光でぼんやりとしか映していなかった森田くんをあんなにはっきりと最後映すんだもん、やっぱりあれは、岡田くんが観たかった夢なんだよ。

・観終わった後友達もわたしも全く泣いてなくて、でも世間的に泣いたひとが多いことをあとから知って、おお…!とそれにまた感動してしまった。
世間的には、最後のシーンはどう解釈したんだろう?わたしはあれじゃあ救いきれない、って思ったけど、世間はあれが少しでも救いになって良かった、と思ったのかな。
しかしわたしたち少数派なんやな…と多少落ちこんでその日は帰ったけど、でもううん、それはわたしたちが森田剛が演じた森田くんのサイコパスとしての部分にすごく重きを置いて映画を観た結果だと、思うんだよなあ…
どっちも、抱いた感想として納得なんだけど、ううん…

・ていうか森田剛サイコパスなのマジで最高でしかなかった…
美しいだけでもなく、みすぼらしいだけでもなく、リアルな汚さの奥に潜む確実な生命力と綺麗なものが、すごい。
わたしは友達に連れられて観たひとだから森田剛の演技をほとんど初めて観たんだけど、えっ!?えっ!?っていう驚きもなく、すーーーっ…と静かに興奮する感じだったなあ。

パンフとか読んでないのに好きに語り散らしてごめん。トンチンカンなことばかり書いていたらごめん。
そんな感じでした。
他のひとの感想も漁ろう〜

佐藤勝利を好きになるわたしについて考えてみる

年の瀬です。こんにちは。

数日前のわたしのツイートがコレなんですけど、

ちょっとこのツイートを真っ昼間からかましてしまって、思い返せば思い返すほど恥ずかしくて死にたいので、もう少し深く言及してみたいな、と。

 

てゆーかさ、冷静になって、

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これに自分が似てるって言いだすとか、どう考えても正気の沙汰ではない。

違うんです。違うんです。

わたしはもう、混乱してるんです。

佐藤勝利を、なぜ好きなのか。不毛な話をさせてください。

 

わたしは、今のところ松島くんと勝利くんが毎日はち切れそうなほど好きなわけですけど、どっちか決められないとかじゃなくて、好きの種類が全く違うなって思ってて。

松島くんへの好き、はアイドルとしての好き、だってハッキリ思うんですよ。

一挙一動かわいい~!しぬ~!って叫びたくなるし、異性として雄ぃ…ってドキッとすることも残念ながらあるし、できるだけたくさんお金をあげたい…!って打ちひしがれることもある。そういうちゃんと、「他人」としての好き。

オタクとして、アイドルである彼を消費している実感があります。

なんだけども、なんだけども…なんか勝利くんは違う。勝利くんにこういう感情を抱くことってあんまりない。

うっ…美だ…死ぬしか…って放心することはよくあるけど、消費かといわれるとよくわからなくなってしまうわけです。だからわたしは勝利くんの担当?ファン?そういうものなのかもよくわからない。自分にとってそれがしっくりこない。

 

それで、わたしの立ち位置を知りたくて真剣にずっと考えていたんです。

結果たどり着いた答えはたぶん、これ。

この感情は、たぶん、自己愛なんです。自己愛の延長として、アイドルを愛してしまっている。

我ながらかなりアレなことを言っている自覚はあります。

 

わたしは、彼を自分のもうひとつの人生として愛している気がするんです。

生まれながらに圧倒的な美を手にして、それを利用して、チャンスをものにする人生。

それは、わたしがいつか求めた最上の人生のかたちなんじゃねーのか、と。

 

さして容姿に恵まれたわけでもないわたしは、ずっと自分の外見に振り回されて生きてきました。多くの人と同じように、あるいはそれよりももっとナイーブに。自分の外見を正しく目で捉えて、正しく評価できる人間などこの世に一人もいないと頭でわかっていながら、心がそれを許さない日々を過ごしてきました。

美しくない人生だけど、美しくない自分を割り切れない。それはこれからもきっとそう。これは、永遠の闘いなんです。

 

でも、彼は違う。

わたしが彼への気持ちを拗らせている最も大きな原因は、彼自身が自分の外見に無頓着なことにあると思います。

美を手にした人間は、自分の外見に関してナルシストになる隙がないんですよね。

そんな人間が、自分の外見を違うかたちで受け入れて、(自分のマイナスを受け止めるより、プラスを受け止める方がきっと困難だと思う)それをさらに存分に利用して、アイドルをやっている。それだけじゃ飽き足らず、自分の外見を持て余して、すぐに飽きるからと自分を追い込んで、常に高みを目指して邁進している。

これはもう、ドラマじゃないですか。

ドラマのような人生を、彼はアイドルとして見せることを選んだのか、と。

もうその時点で、好きになるしか道がなかったよ、お母さん。

 

そして、わたしは気づくんです。わたしは、そんなドラマのような人生を心の奥底から、ずっと渇望してきたことに。もしかしたら、今もしているのかもしれない。

お姫様になりたい、ヒーローになりたい、億万長者になりたい…そういうものに並ぶ、佐藤勝利になりたい、という感情です。

わたし、何かになりたいって思ったことがあまりなくて、たとえば西内まりやになりたい女子高生がいたとして、なってどうなる?なってどうする?とずっと思ってたんです。でも、なりたいっていう感情はそういう見たままのものじゃなかったんですね。それはおジャ魔女どれみちゃんになる人生を夢見た、子どものころのわたしの感情のことを言っていたんですね?(ちがう?)

 

そしてさらに、わたしはその求めたもうひとつの人生を、今の自分の自意識に重ね合わせてしまったんですね。だから「似てる」と感じてしまった。

わたしがもし、佐藤勝利という人間だったらたどり着くであろう生き方、人生観で彼が生きている、という、物語にです。

恥ずかしくて死にたいし、自分でも何を言っているのかよくわからないけど、そういうことなんだと思います。

わたしが佐藤勝利だったらこうしたい、というのを勝利くんは全部やってくれる。自分の見た目を持て余して、たくさんの責任を背負って、プレッシャーに打ち勝って、突き進む人生。ときに不器用な笑顔をつくって、食べてもすぐおなかが空いて、個性の強い4人を愛して、愛されて、逃げずにずっと、前を見て歩む人生。

交わらない人生の糸を、わたしは一方的にごちゃごちゃに絡ませている。

いつか求めたもの、なんです。

どれみちゃんに、さくらちゃんに、本気でなりたかった気持ちがここにある。

 

先日発売したSTORYの見出しはこうでした。

宿命から逃げず 絶対的センターとして闘い続ける ジャニーズ正統の皇子

わたし、雑誌の見出しで泣いたのなんか、初めてです。

彼がジャニーズに入ったこと、セクシーゾーンのセンターであること、その人生すべてが、宿命だと感じる、その高揚感。

実存が先だってヒトは人間になる。佐藤勝利は、佐藤勝利として生まれたことが宿命なんです。そんなことばかり、考えてしまう。

 

あ~!

なんだ。

いろいろ言いましたが、いろいろ言いましたが。

拗らせ具合が天井を超えていっても、何って彼が好きなんです。とにかく彼がすごく好き。

わたしが死ぬときに思い出す勝利くんは、たぶんセクセカの冒頭で登場する勝利くんなんだと思います。わたしが初めて、佐藤勝利というアイドルを噛みしめた瞬間だった。ほかにもたくさん素敵な勝利くんはいるけど、わたしが初めて噛みしめた瞬間。

ひとりで宇宙まで飛んでいけそうなのに、観客がいて、メンバーがいて、それで初めてアイドルである自分が存在するのだと、確認するような表情がまぶしくて、大好きだと直感した。

それから少し時が経っただけでこんなにも拗らせてしまったけど、それでも好きな気持ちに迷いはありません。

 

佐藤勝利はいつか必ず終わる。

この世にアイドルとして生きているから、必ず終わる。

それどころか、わたしが興味を失えば、佐藤勝利の時間は止まる。佐藤勝利を作り上げているのは、ほかでもない、わたし。

他人として消費できない以上、ありもしない妄想を膨らませて、わたしはなんの実態もないものを愛することになるかもしれない。

でもそうやって、「終わり」や「間違い」を考えるより先に、ただ目を開けてみていなければ、と思うものが佐藤勝利にはある。

わたしがいつか求めた、人生だから。

 

…どうか来年も、よろしくお願いいたします。