佐藤勝利を好きになるわたしについて考えてみる
年の瀬です。こんにちは。
数日前のわたしのツイートがコレなんですけど、
なんか気づいちゃったんだけど、わたし勝利くんに似てるって自分で思ってるみたいなんだよね
勝利くんはわたしにとって自分のもう一つの人生で、松島くんはわたしにとって永遠に他人なの。めっちゃシンプルに言うと自分に似てるから勝利くんが好きだし、自分とかけ離れてるから松島くんが好き。
ちょっとこのツイートを真っ昼間からかましてしまって、思い返せば思い返すほど恥ずかしくて死にたいので、もう少し深く言及してみたいな、と。
てゆーかさ、冷静になって、
これに自分が似てるって言いだすとか、どう考えても正気の沙汰ではない。
違うんです。違うんです。
わたしはもう、混乱してるんです。
佐藤勝利を、なぜ好きなのか。不毛な話をさせてください。
わたしは、今のところ松島くんと勝利くんが毎日はち切れそうなほど好きなわけですけど、どっちか決められないとかじゃなくて、好きの種類が全く違うなって思ってて。
松島くんへの好き、はアイドルとしての好き、だってハッキリ思うんですよ。
一挙一動かわいい~!しぬ~!って叫びたくなるし、異性として雄ぃ…ってドキッとすることも残念ながらあるし、できるだけたくさんお金をあげたい…!って打ちひしがれることもある。そういうちゃんと、「他人」としての好き。
オタクとして、アイドルである彼を消費している実感があります。
なんだけども、なんだけども…なんか勝利くんは違う。勝利くんにこういう感情を抱くことってあんまりない。
うっ…美だ…死ぬしか…って放心することはよくあるけど、消費かといわれるとよくわからなくなってしまうわけです。だからわたしは勝利くんの担当?ファン?そういうものなのかもよくわからない。自分にとってそれがしっくりこない。
それで、わたしの立ち位置を知りたくて真剣にずっと考えていたんです。
結果たどり着いた答えはたぶん、これ。
この感情は、たぶん、自己愛なんです。自己愛の延長として、アイドルを愛してしまっている。
我ながらかなりアレなことを言っている自覚はあります。
わたしは、彼を自分のもうひとつの人生として愛している気がするんです。
生まれながらに圧倒的な美を手にして、それを利用して、チャンスをものにする人生。
それは、わたしがいつか求めた最上の人生のかたちなんじゃねーのか、と。
さして容姿に恵まれたわけでもないわたしは、ずっと自分の外見に振り回されて生きてきました。多くの人と同じように、あるいはそれよりももっとナイーブに。自分の外見を正しく目で捉えて、正しく評価できる人間などこの世に一人もいないと頭でわかっていながら、心がそれを許さない日々を過ごしてきました。
美しくない人生だけど、美しくない自分を割り切れない。それはこれからもきっとそう。これは、永遠の闘いなんです。
でも、彼は違う。
わたしが彼への気持ちを拗らせている最も大きな原因は、彼自身が自分の外見に無頓着なことにあると思います。
美を手にした人間は、自分の外見に関してナルシストになる隙がないんですよね。
そんな人間が、自分の外見を違うかたちで受け入れて、(自分のマイナスを受け止めるより、プラスを受け止める方がきっと困難だと思う)それをさらに存分に利用して、アイドルをやっている。それだけじゃ飽き足らず、自分の外見を持て余して、すぐに飽きるからと自分を追い込んで、常に高みを目指して邁進している。
これはもう、ドラマじゃないですか。
ドラマのような人生を、彼はアイドルとして見せることを選んだのか、と。
もうその時点で、好きになるしか道がなかったよ、お母さん。
そして、わたしは気づくんです。わたしは、そんなドラマのような人生を心の奥底から、ずっと渇望してきたことに。もしかしたら、今もしているのかもしれない。
お姫様になりたい、ヒーローになりたい、億万長者になりたい…そういうものに並ぶ、佐藤勝利になりたい、という感情です。
わたし、何かになりたいって思ったことがあまりなくて、たとえば西内まりやになりたい女子高生がいたとして、なってどうなる?なってどうする?とずっと思ってたんです。でも、なりたいっていう感情はそういう見たままのものじゃなかったんですね。それはおジャ魔女どれみちゃんになる人生を夢見た、子どものころのわたしの感情のことを言っていたんですね?(ちがう?)
そしてさらに、わたしはその求めたもうひとつの人生を、今の自分の自意識に重ね合わせてしまったんですね。だから「似てる」と感じてしまった。
わたしがもし、佐藤勝利という人間だったらたどり着くであろう生き方、人生観で彼が生きている、という、物語にです。
恥ずかしくて死にたいし、自分でも何を言っているのかよくわからないけど、そういうことなんだと思います。
わたしが佐藤勝利だったらこうしたい、というのを勝利くんは全部やってくれる。自分の見た目を持て余して、たくさんの責任を背負って、プレッシャーに打ち勝って、突き進む人生。ときに不器用な笑顔をつくって、食べてもすぐおなかが空いて、個性の強い4人を愛して、愛されて、逃げずにずっと、前を見て歩む人生。
交わらない人生の糸を、わたしは一方的にごちゃごちゃに絡ませている。
いつか求めたもの、なんです。
どれみちゃんに、さくらちゃんに、本気でなりたかった気持ちがここにある。
先日発売したSTORYの見出しはこうでした。
宿命から逃げず 絶対的センターとして闘い続ける ジャニーズ正統の皇子
わたし、雑誌の見出しで泣いたのなんか、初めてです。
彼がジャニーズに入ったこと、セクシーゾーンのセンターであること、その人生すべてが、宿命だと感じる、その高揚感。
実存が先だってヒトは人間になる。佐藤勝利は、佐藤勝利として生まれたことが宿命なんです。そんなことばかり、考えてしまう。
あ~!
なんだ。
いろいろ言いましたが、いろいろ言いましたが。
拗らせ具合が天井を超えていっても、何って彼が好きなんです。とにかく彼がすごく好き。
わたしが死ぬときに思い出す勝利くんは、たぶんセクセカの冒頭で登場する勝利くんなんだと思います。わたしが初めて、佐藤勝利というアイドルを噛みしめた瞬間だった。ほかにもたくさん素敵な勝利くんはいるけど、わたしが初めて噛みしめた瞬間。
ひとりで宇宙まで飛んでいけそうなのに、観客がいて、メンバーがいて、それで初めてアイドルである自分が存在するのだと、確認するような表情がまぶしくて、大好きだと直感した。
それから少し時が経っただけでこんなにも拗らせてしまったけど、それでも好きな気持ちに迷いはありません。
佐藤勝利はいつか必ず終わる。
この世にアイドルとして生きているから、必ず終わる。
それどころか、わたしが興味を失えば、佐藤勝利の時間は止まる。佐藤勝利を作り上げているのは、ほかでもない、わたし。
他人として消費できない以上、ありもしない妄想を膨らませて、わたしはなんの実態もないものを愛することになるかもしれない。
でもそうやって、「終わり」や「間違い」を考えるより先に、ただ目を開けてみていなければ、と思うものが佐藤勝利にはある。
わたしがいつか求めた、人生だから。
…どうか来年も、よろしくお願いいたします。